被災地NGO協働センターです。
岩手を訪問した増島のレポートです。
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「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり 3月6日
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まけないぞうの回収で内陸に避難された方たちがいる遠野の伺いしました。遠野市穀町にできた仮設は木造で、一部高齢者・障害者向けに屋根付きのウッドデッキで集会所兼サポートセンターも併設され、雨の日にでも傘を差さずに集会所に行ったり、井戸端会議ができるスペースになっています。部屋は木の香りが漂い、プレハブのものより断然住み心地がいいです。
7年半住み続けてきた仮設もこの2月で入居者の方が退出され、みなさんそれぞれ新たな一歩に進まれました。仮設の隣の敷地に災害復興住宅を建築しました。その部材は仮設のものを使い、3~4軒の長屋づくりで和風モダンな素敵な木造住宅です。コミュニティも環境も変わることなく、被災者への負担はほとんどありません。愛犬のワンちゃんとも一緒にお引越しもでき、住み心地もよさそうで、みなさん終の棲家にご満悦です。
その傍らにはまけないぞうが見守ってくれています。
3月11日を前に、作り手さんの旦那さんに初めてじっくり話を聞かせてもらいました。あの日、釜石市の鵜住居でいつものように散歩していたところに大きな地震にあったのです。旦那さんは遠野の出身で大きな地震の後に津波がくるということを知らなかったのですが、周りの人が逃げているのを見て、慌てて自宅に戻ったら、奥さんが玄関から出てきて、二人で高台へ避難し、そこに津波が来て家は丸ごと流されたそうです。当時はその高台の親戚の家に避難していて、瓦礫の町となった自宅周辺を茫然と見ていたそうです。そこでもうだめかと思っていた2~3日後に大阪や京都から消防車や救急車などが来る光景をみて、「助かった!!」と思ったそうです。そのことを泣きながら話してくれました。その後、出身地でもある遠野で仮設住宅による避難生活が始まりました。しかし、当初は慣れない仮設暮らしと疲労により、体調を崩したのですが、奥さんのためにもこのままではだめだと思い、奮起して家探しをはじめたとのこと。いくつもいくつも家を探しては見学に行ったそうです。そこで、やっと住んでいた仮設に近い一軒屋を見つけ、仲良くなった仮設のみなさんとも交流できる距離のところに家を買ったそうです。
旦那さんが遠野に来て、感動したことがありました。当時、遠野市は後方支援の拠点として市長以下職員総出で沿岸被災地の支援を開始していました。その時にある部下が食料のことで遠野市長に指示を仰いだところ、「そんなこと自分で判断しろ!」と怒鳴られたそうです。これは緊急時に、その都度市長の判断を仰ぐのではなく、職員一人ひとりが考え行動することが大事だということだったそうです。それを聞いた旦那さんは「遠野市長はすごい」と感動したそうです。緊急時にはマニュアルは通用しません。だからこそ、一人ひとりが被災者のニーズに耳を傾け、「いま」何が必要なのかを考え、行動することが必要なのです。
2011年の3月に初めて遠野にきて民泊させてもらったお宅で、「遠野で自慢できることは何ですか?」と聞いたときに「それは、“まごころ”です」と答えてくれました。その言葉はとても印象深いものになりました。遠野のみなさんはとても温かくボランティアを迎えてくれて、私たちもとっても助かりました。そして、これからもお付き合いは続いていきます。
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