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令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.68

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令和6年(2024年)能登半島地震救援情報

 

令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.68

6月 07, 2024


輪島の仮設住宅での孤独死に思う。

 今年の元日に発生した能登半島地震から、「やっと半年が過ぎたか‥‥」と一つの節目を迎えようとした矢先の5月27日、輪島市の仮設住宅で独り暮らしの70代女性が「孤独死(孤立死)」された。29年前の阪神・淡路大震災では、5年間の仮設住宅暮らしで255人の孤独死を数えた。255人という数字を話題にしたいのではない。この輪島市の仮設での孤独死が、仮設住宅では初めてだったということに、自省を込めて悔しさがこみあげてくる。残念ながら、あれから5ヶ月が過ぎ、マスコミでのこの地震に関する記事が極端に減少してきた今、よりこの亡くなられた女性のことが気になる。たった一人かも知れないが、かけがえのない“いのち”が、明らかに地震の影響といえる関連死として亡くなったことが問題なのだ。

 さて、去る5月21日に神戸で開業医を営んでいた梁勝則(リャン・スン・チ)さんが逝去された。5月16日に自宅で倒れ、家人が発見したが‥‥。

梁先生は、29年前の阪神・淡路大震災で、直後の「緊急長田ケアセンター」での緊急医療支援をサポートし、その後の避難所での主に高齢者の医療支援に携わり、そして仮設住宅での支援へと継続しつつ、被災者支援に尽力された医師の一人だ。阪神・淡路大震災後に孤独死が相次ぎ、私たち支援者は、毎朝新聞を開くのが怖かったほど孤独死が続いた。私たちはじめ仮設住宅の被災者に対する寄り添い支援をしていた者は、仮設住宅での孤独死を防ぐために、徹底したローラー作戦のように、見守り活動をした。しかし、残念ながらいつも孤独死がでたあとで、死者を見ているだけに過ぎなかった。そのことに「ボランティア、見つけられず!」と指摘を受けたこともある。そんな時に梁先生が「孤独死が問題なのではなく、孤独な生が存在していることが問題なのだ!」と指摘された。私たちは“目から鱗”状態になった。

以後、仮設住宅で孤立しないように、バザーを展開したり、訪問を繰り返したり、買い物手伝いや話し相手、」寺子屋勉強会・・・とできることは何でもしてきた。空前の1日2万人というボランティアが活動していても、孤独死はじめ梁先生が指摘された“防げた死”を無くすことができなかった。

石川県知事は今回の孤独死を受けて、「見守り体制を強化する」とコメントしていた。何故、行政は過去に学ばないのか?こんなにも簡単に一人のかけがえのない“いのち”を奪っていいのだろうか?29年の事象をもとに、いつも災害時には「見守り強化」「覚えきれないほどの支援員制度の設置」「暮らしに仮はないと仮設でのケアハウス実施」などなど、これでもか、これでもかと手を打ってきた。同じ石川県内の珠洲市は昨年5月にも地震に遭ったことから、今回も見事な見守り体制で巡回訪問を重ねている。それは、「絶対に孤独死はださない!」という固い決意があるからだ。

このような事例があるにも拘わらず、石川県は過去の事例や現在の活動の何を学んでいるのか?憤りを超えて、この原稿を打ちながら涙が止まらない。今頃、「見守り体制の強化」なんてマニュアル通りのコメントに過ぎないではないか。今回のことは、法的には明らかに「行政の不作為」だと断言できる。

石川県に声を大にして言いたい。二人目の犠牲者を出さないためには、有無を言わず大量のボランティアを被災地で受け入れることだ!そうしてボランティアがとりあえずの寄り添い活動を展開していると同時に、専門家はもっと効果的な提案をし、職能集団としての役割も以てボランティアをサポートして欲しい。29年前が原点とは言わないけれど、梁先生に胸を張って、「安心して天国に…」と伝えたい。

被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清

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令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.69

6月 10, 2024


輪島の仮設住宅での孤独死に思うⅡ

 5月28日に報道された輪島市の仮設住宅で発生した孤独死の背景が、徐々に報道されてきた。阪神・淡路大震災の時には、「孤独死の定義は、何なんだ!」という訴えもあった。  

警察の定義は「亡くなった時には、一人だった」ということのようだ。しかし、遺族の方が訴えるのは、例えば「毎日見守りに行っている。たまたま、見守りに行って帰った後に部屋で倒れ、その後亡くなったというケースもある。それでも孤独死と言われると、家族としてはあまりにも切なく、辛い」ということだ。今回のケースもよく似ている。報道によると、長男は仮設住宅に入居してからも仕事帰りに週に1~2度様子を見に行っていたそうだ。亡くなったとされる17日にも夜に訪ねていた。その時は携帯電話もつながらなかったので帰った。しかし、20日になっても連絡がなく、昼休みに電話したがやはりつながらなかった。長男は午後に休暇をとり、職場にあったハンマーを持参し、仮設住宅に向かった。それは場合によっては、ハンマーで窓を割って、入るしかないという判断だったようだ。お母さんは、27日に発見された。

こういう事例は、阪神・淡路大震災はじめ過去の災害でもあった。そのたびに当該県の担当者あるいは知事は、「支援の強化」を打ち出す。過去の事例に学んでいれば‥‥と、自省を込めて悔しい。発災直後から見守りを充実させ、その体制をさらに強化しつつ、仮設住宅あるいは在宅避難者への見守り体制を持続することができなかったのか‥・・・?

「事前復興」という言葉がある。平時から見守り体制を強化していれば、それを災害時には拡充するだけではないか!そして知事は復興支援センターを設置すれば解決すると思っているのではないか?「事前復興」として、災害時には復興支援センターを設置して、人がどう動くのか?一度でもシミュレーションをしてきたのか?

かけがえのないいのちが喪われて、はじめて動くのか?と思うと、ほんとうに憤懣やるかたない!! 

(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)

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令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.70

6月 11, 2024


輪島の仮設住宅での孤独死に思うⅢ

 1995年の阪神・淡路大震災後の仮設住宅で、亡くなってから約1か月発見できなかったという衝撃的な孤独死があった。約1100戸の仮設の見守りを担っていた「阪神高齢者・障がい者支援ネットワーク」の理事長故黒田裕子(元宝塚市民病院総副婦長)は、この仮設での第1号だった孤独死を受けて、「絶対にこの仮設からは孤独死を出さない」と決意した。以後、スタッフと共に24時間体制で見守り活動を続けた。同ネットワークの設立時の趣意書の災害に次のような宣言がなされていた。

1. 一人暮らしの高齢者を孤独死させない。

2. 高齢者・障害者を寝たきりにさせない。

3. 仮設住宅を住み良い生活の場とすることを目的に、長田地区高齢者・障害者支援ネットワークを阪神高齢者・障害者支援ネットワークへと名実ともに衣替えし、被災市民の救援活動に乗り出す。

黒田が亡くなった後を引継いだスタッフは、あれから30年が経とうとしている今でも、災害復興公営住宅での、見守りと居場所づくりを続けている。

また、2007年の能登半島地震で輪島市内に建設された50戸の仮設住宅で支援員として見守りをしていた被災者のFさんがいた。彼はお母さんと二人暮らしだったが、この50戸の仮設住宅を、毎日朝・昼・夜と全戸の訪問をし、同じ被災者に寄り添ってこられた。

ある時、いつものように見守りをしていて、息子さんと二人暮らしの家庭の玄関の扉を叩き声をかけたが、家の中から応答がなかった。息子さんは仕事に行っているので、「中で倒れているかも…」と心配になり、石を投げて入口のガラス戸を割り、鍵を外して家の中に入った。やはりお母さんは部屋で倒れていた。すぐ救急車を呼び病院へ連れて行った。3時間ほど病院にいて、熱中症と診断を受けた。結果的には大事に至らなかったが、法律的にはプライバシーの保護を無視し、器物破損の罪を犯したことになる。Fさんは「プライバシーといのちとどちらが大事なのか?!」と思い、こうした行動に出た。時にはこうした判断が必要ではないかという事例だ。こんなときに警察あるいは消防という専門家がいつも傍にいたら、適切な判断を仰いだだろう。しかし、福祉や医療はじめその他の専門家では、ほとんどがFさんのような行動を取ることはできないと思う。

仮設住宅での孤独死を受けて、石川県の馳浩知事は「被災者の立場に立って、できることは何でもする、やれることはすぐする。誰一人取り残すことないようにする」と話した。

この決意が空虚なものに終わらないように、絶対に二人目の悲劇を出さないことを肝に銘じてほしい。

(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)

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令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.71

6月 19, 2024


—自主避難所から、自立避難所へⅫ(輪島市西保地区上大沢編-2)

4月下旬の訪問から2回目の上大沢集落の訪問で、今回は「やさしや足湯隊」に同行して足湯をさせて頂いた。4月に初めて来たときは、4人ほどしか帰村されていなかった。あれから2ヶ月、今回は区長さんが「足湯があるから・・・」と声をかけてくれたのか、女性4人、男性4人もいた。皆さん喜んで下さったのだが、その背景には「ここにボランティアが来てくれたのは、あんたらが初めてや・・・」ということにあったのかもしれない。

「昼には、みんな畑仕事や田植えの準備から、集会所に戻ってきて昼ご飯を食べるから、その頃に来たら丁度みんないるよ」と区長さんの話だったので、その時間帯に合わせて午後1時に到着した。もちろん、足湯をさせて頂くときは一切の道具をこちらで持って行くのだが、水がまだ出ないにもかかわらず、すでにお湯を沸かして下さっていた。ボランティアがこうして被災地に迷惑をかけることだけはご法度だが、もう沸かしていたので、甘えて、使わせて頂いた。

上大沢は海からの風も強いという集落なので、風除けの“間垣”が景観としても有名なほど観光地としても人気があった。最初に足湯の場所を決めるのに、「どこでしましょうか?できたら部屋の中の方いいのですが‥‥、外だと風がきついのでせっかく足を温めて、冷やすと効果が半減するので・・・・・」と言い終わる前に、「ここの人は、これくらいの風は慣れたもんだよ!」と一蹴された。なるほど、そうだろうなぁと納得した。でも、結局集会所の畳の上で行った。

はじめての足湯なのか、「お!足湯かー!」と大歓迎された。「人に触ってもらうと全然違うな!」「足湯は気持ちいいね」「肩をさすってもらうだけで、何かスーッとしたね」など感想を言ってくれた。足湯をしながらいろいろ話もしてくれました。以下、4人のおばあたちの話を紹介すると。「この4人はみんな、在所から嫁にきた。昔から知ってるから仲はええねぇ」「最近の若い嫁はみんな旅(旅の人)やなぁ」「春のごっつぉ(ご馳走)。ワカメとれりゃワカメだし、山菜取れりゃ山菜がごっつぉ」「水ぶきは、ごま油で炒めるのがうまいね」「ヤマブキは日陰のほそこい(細い)のがいい。日当たりいいと、この赤くなったようなのはコワイ(硬い)」「昔は岩海苔取りをやっていたけど今はやっていない。ここの海苔は美味しいよ」(学生はおみやげに戴いた。)など美味しい山菜の話から、自慢の岩海苔の話や料理の話まで‥‥。3人寄れば○○だけど、4人なので想像がつくでしょう。

 こうして足湯をしながら、一見たわいもない話を聞かせて頂いたが、こういう話に「自分の営みがある人は生きる目的がある」と気づかされ、久しぶりに足湯に参加して、「やっぱり足湯は意義があるなぁ」と感心していたベテランボランティアも。そして「(ここまで来るのに)道が大変だったけど、自分たちにとっても、土地から生えているように生きている」とポツリと‥‥。これが自立ではないか!自主から自立への暮らしへと、いままで通りの営みがある。これが「風土」というものではないか!

別れ際に、稲の苗を育てているNさんは、「腕が痺れる。でも今やらなどうするんか!やらなければ、来年からの米作はない。」と厳しい中での覚悟を聞かされた。

4人のおばあは、一人は歩いて、一人はNさんが運転する軽トラの助手席に、残った二人はいつものことのようにそのトラックの2台に乗って颯爽と集会所を後にされた。

(上大沢編:3に続く)

「やさしや足湯隊(第9次足湯隊)」(清野しずか、大原泰輔、南太賀、村井雅清)

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令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース No.72

6月 22, 2024


輪島の仮設住宅での孤独死に思うⅣ

 先日9日に、本レポートNO,70で紹介したFさん宅を訪ね、2007年の能登半島地震後の仮設住宅での活動を聞かせて頂いた。

 Fさんは、その地震で自宅は全壊。その後50戸のY仮設住宅に入居し、そして災害復興公営住宅でお母さんと二人暮らしをされいた。(母は94歳、4月に白内障の手術をし施設で暮らす。)Fさんも、在宅被災者を診てまわっている訪問医の診断で血糖値が異常に高いということで、4月に即入院され治療を受け、今は自宅での療養となった。「糖尿病」だ。

 さてFさんは仮設住宅に入居された時には、仮設住民のお世話をするN区長さんがおられた。しかし、その区長さんは荷が重いのか藤本さんに代わって欲しいと依頼があり、Fさんが仮設住宅の区長になった。

 当NGOが、能登半島地震の被災者支援としてY仮設にもお邪魔し、救援物資を持って行ったり、足湯ボランティアを派遣してきた。その時に、阪神・淡路大震災での孤独死のことなどを話したようで、Fさんは「それをヒントに仮設住宅での見守り活動を始めた」と語り始めてくれた。 

 この50戸の仮設住宅でFさんは、毎日朝・昼・夜と3回の訪問をされていた。最初は要領が分からなかったが、とにかくドアをノックし、救援物資を配りながら「元気?」「何か困ったことある?」と訪問していた。そのうち被災者の方から「待ってたよ。元気、元気。○○作ったから、持ってけ!」と食べ物を戴いたりする。また「丁度、焼き鳥を焼いていたので食っていけ!」とか、救援物資を届けていたら、代わりに何か貰って帰るという日常になってきた。そのうちに「こうして訪問することが楽しくなった!」と。ある時、仮設住宅に数か所ハチの巣が出来ていた。Fさんは、市役所に電話をし担当者に来て貰ってハチの巣を除去した。またここの仮設住宅に住む高校生が、Fさんの手伝いをするようにもなってきた。

 そのような日々を送っていた時、いつものように被災者を訪問していると、返事がないお家があった。ガラス越しに覗いていたら、台所で住人が倒れていたのが見えた。Fさんは迷うことなく、石を投げてガラスを割り、鍵を開けて中に入った。意識はあったので、すぐ救急車を呼び病院に運んで貰った。診断は熱中症で3時間ほど病院にいて帰宅した。

 結局、大事に至らなかったのは幸いだが、やはりケースによっては命取りにもなるということではないか。Fさんは健康相談も開いていて、慢性病の方の病状や常備薬の名前を聞き、代わりに病院に行って薬を貰ってきて各々に届けても来た。毎日3回も訪問していたら、各家庭の事情も分かってくる。

 本レポートNO 68でも書いたが、亡くなられた梁勝則(リャン・スン・チ)医師が言われた「孤独死が問題ではなく、生の孤立が課題なんだ」ということをそのまま実証されているのがFさんではないか?先般の孤独死を受けて、石川県知事は「支援の強化!」を打ち出したが、具体的には、第二のFさん、第三のFさんを何人も輩出することなのだ。

 30年前の阪神・淡路大震災で、5年間の仮設住宅で255名の孤独死を出してしまった。この経験が、その後の支援事業に活かされ続けてきたことを、石川県はじめ各被災自治体、そして各専門家も含めて支援者となるすべての人は、忘れないで欲しい!! 

               (被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清)

*私たちの活動は、日本財団「災害発生前後の初動期に関する支援活動」助成を頂き活動しています。

*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。https://www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
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*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。

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口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込
  
ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556
 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター

*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。


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